読書記録

読書の備忘録

日本の貧困・格差について

 自分が学んだことや考えたことをアウトプット出来る場所が欲しいな、と考えた結果試験的に此処に記事を投稿してみる。

 今回は最近受講した授業が非常に興味深かったので、詳しく授業の細部に言及するのは避けつつ、其処で学んだことや考えたことを記していこうと思う。

 

「最低限度の生活とは」

日本国憲法で規定されている「~最低限度の生活」。以前の私は漠然と、此処での最低限度という言葉は生命維持が可能な程度の、というぐらいに捉えていた。しかし、実際、日本国憲法ではその最低限度の前に「健康で文化的な」という修飾語を付けている。健康でいて、文化的生活は、前述の「生命維持が可能な程度の」生活とはピッタリイコールではないだろう。しかし、健康ならまだしも「文化的生活」とは何なんだろうか。抽象的な言葉過ぎて、どこまでが文化的生活で、どこまでが文化的な生活ではないのかという明確な線引きは非常に難しい。

 

生活保護受給者はパチンコに行ってはいけないのか?」

・以前の私ならば、「当然行ってはいけない。生活に困窮しているのだから、パチンコ台はそちらに回すべきで、パチンコは余暇であり生命維持に直接影響しない」と思っていただろう。しかし、パチンコは文化的生活の一部とは言えないのだろうか。受給者にとって、パチンコが唯一のストレス解消法だとしたら?(まあ恐らく此処でだした例がパチンコというのが良くないのかもしれない。パチンコは、比較的日本社会ではあまり良いイメージを持っていない人間が多そうだし。これが、バードウォッチングとかなら周囲からの反応も変わるかも?)思うに、私が以前思っていた「生命維持が可能な程度」の暮らしというのは、その暮らしをする人をある種の緊張状態に置き、それは非常にストレスフルなものだと考えられる。そんなストレスフルな状態に置くのが、生活保護受給者に対する正しい処置には思えないと感じるようになった。

 

「アプリ―チしやすい人間にアプローチしてしまいがち」

・これは受講した授業の教授が言っていた言葉で、非常に印象深かった。この言葉の文脈は、研究や調査はアプローチしやすい人間に研究者や調査者がアプローチしがちであるといったものだった。確かに、例えば引きこもりの子どもや学校に通っていない子どもをアプローチするのは非常に難しいと感じる。しかし、教育政策においては、こういう最も支援を要する子どもにアプローチすることが重要なはずである。

私も大学院で学ぶ上で、アプローチしやすい研究対象だったらな、とよく思うことがある。しかし、本当に重要なのはアプローチのし易さではなく、その研究によって社会がより良くなることを目指すことだよな、と痛感したのでした。

 

「総括」

日本の貧困の深刻さ

 今回の授業を通して、やはり一番痛感したのは日本における貧困の深刻さである。特に、若者と高齢者の貧困率が非常に高い。

 個人的な経験として、私が身近に貧困の子どもがいると感じたのは人生で二度のタイミングである。一つ目は、公立小学校に通っていた時と、二つ目は大学学部生時代にしたアルバイトとボランティアをしていた時である。

一つ目の公立小学校では、確かに裕福ではない家庭出身の子どもがいた(小学校時代、明確な自我が生まれていない中でなんとなく「この子の家はお金が無いんだな」というのを察していた気がする)

二つ目は、大学学部生の時にしていたボランティアとアルバイトで、である。何故、公立小学校から大学まで飛躍するかというと、中学高等は私立に通っており今振り返って考えてもそこまで他と比べて家庭の経済環境に大きな格差を抱える子はいなかったように思う。(勿論私が思い出す限りでは、だが)

大学の学部は、今思うと相当経済的に裕福な層ばかりの学生が揃いに揃っていた。(学部生の時、ゼミの教授に『この大学に通う学生はプチブルプチブルジョワ)だ』と零していたことを未だに忘れられない)

そんな中、ボランティアとアルバイトを通して、ひとり親世帯の多さやその子達の多くは学業不振に陥っていること、学業不振が自己肯定感の低下を招いていること、家庭環境の悪さが学校への適応に悪影響を及ぼしていることを知った。それは、私にとって大きな衝撃だった。そして、今考えるとそれらは氷山の一角に過ぎないのだろう。世の中には、私が知らないだけで更なる貧困に苦しんでいる子どもは多く存在している(統計的数字が証明している様に)。

そして、同時に私はただただ「ラッキー」だったのだと感じた。私の家庭に全くの問題が無いという訳ではないと個人的には思うが、家庭にある程度の経済力があり、父母どちらも教育にそれなりに関心があるために、私は今日まで学校に通い学問を学び研究をすることが出来る。しかし、勿論出生は自分の力で決定することが出来ないから、もしかしたら私が貧困家庭に生まれ、今は高校卒業した後直ぐに就職する道をとっていた可能性だってあるのだ。

生まれない家庭は、誰も選べない。昨今は、家族や家庭を「美しいもの」だとして褒め称える言説をマスメディア等でよく散見する。しかし、家族や家庭は決して完璧なものではなく、上手く機能しない・しなくなる可能性を常に孕んでいる。そんな中で、そんな機能不全に陥った家族・家庭をサポートするべきなのが、行政を始めとする社会構成員なのではないかと思った。

Cool Head,Warm Heart.

 今回の授業を受け持っていた先生を見ていてこの先生は非常に「Cool Head,Warm Heart.」の持ち主なんだなあと感じていた。

研究者の社会的使命を明確に自覚し、社会的弱者に対する深い理解を持ち、なおかつ問題意識をもち、その頭脳をもってして精緻で正確な調査・分析・研究を行っているんだなと思った。

 私もこんな人になりたいなあと漠然に思った。時々、自分の将来の仕事等を考えて、「そもそも私は生きている間に一体何をしたいのだろう?」と思うことがよくある。それで、何となく、この日本社会がほんの少しでも良くなる為の一助になりたいなとしみじみ思ったのである。