読書の記録

読んだ本の記録や、自分の経験の記録などをのんびりと記します。

「男も女もフェミニストでなきゃ」著チママンダ・ンゴズィ・アディーチェを読む

 

 

男も女もみんなフェミニストでなきゃ

男も女もみんなフェミニストでなきゃ

 

 

 

市立図書館で借りきて読んだチママンダ・ンゴズィ・アディーチェの本。

この本を読んで、とにかく思ったのは

フェミニズムフェミニストに関して全く/ほとんど知らないという人にとにかく読んで欲しい!ということ。

この本は、著者がかつてTEDという様々なテーマで有名人他がスピーチを行うカンファレンスで行ったスピーチに加筆修正したもの。

そのため、この本自体は約100Pほどの短いページで構成されていて、

また文章自体も口語なのでとても明快でわかりやすい

 

ちなみに、実際にTEDで行ったスピーチはこれ↓

本の内容とほぼ同じ内容で話しているので、本を読む代わりにこちらのスピーチを聞いてもよいかもしれない。ちなみに、スピーチは英語で行われているが、日本語字幕を出すことも可能である。

 


We should all be feminists | Chimamanda Ngozi Adichie | TEDxEuston

 

彼女のこちらの本は、ナイジェリア出身の彼女の女性としての経験を具体例に挙げてフェミニストの話をしているが、彼女の経験は決してナイジェリアに限定されるものではない。

日本においても女性であれば経験するであろう話が語られている。

また、日本でジェンダー問題を文字通り語る時、相手から受けそうな「ネガティブな」反応などに対しても気持ち良く、そして明快に、そして論理的に論破している。

 

とりあえず、以下に自分が気に入った文章を記す。で、適宜自分の考えたことを一緒に記したい。

※カラー太字の部分は強調の意味として私が付けている。※

 

(p.28)「つまり文字通りの意味合いで、男性が世界を支配しているのです。これは千年前ならうなずけます。当時、人類は身体が強靭であることこそ生き延びるための最重要特質とする世界に生きていたからです。そのため、身体的に強い人が指導者になりやすかった。(略)今日、私たちはまったく異なる世界に生きています。指導力のある人とは必ずしも身体的に強い人では「なく」て、むしろより知的で、知識が豊富で、より想像的で、より革新的な人です。こういった特性にホルモンは関係がありません。

 

 →基本的に、今日求められる指導者/リーダーに性別は関係ないという点は賛成する。けれど、例えばブルーワーカーのような肉体的労働を行う会社・業界の中で、評価されるのはやはり肉体的労働に耐え「うる」「男性」になってしまうのではないかと思った。そして、そのような肉体労働が評価される会社・業界においては、必然的に指導者/リーダーポジションにつくのは「男性」になるのではないか。

 

(p.34)「わたしは怒っています。私たちはみんな怒るべきです。怒りにはポジティヴな変化をもたらしてきた長い歴史があります。でもわたしには希望もあります。自分たちをより良いものに作りなおす人間の能力を信じているからです。」

 →私が思うに、日本社会においては「怒り」に対して非常にネガティブなイメージがある。社会に対して、意見を言う時、怒る時。感情的だとして、批判される。けれど、「怒り」はネガティブではないのだというメッセージ。

 

(p.50)「私たちが使う言語でさえそのことを雄弁に物語っています。結婚をめぐる言語はしばしば、対等なパートナーシップの言語ではなく、所有の言語となります。

 →日本語だと、例えば「家内」や「旦那」、「主人」とか。私はいつも友達の夫を呼びたい時、できるだけ対等な言葉を使いたいのに、自分にも相手にもしっくり伝わるような言葉が出てこず、結局「旦那さん」と呼んでしまう。本来であれば、パートナーとか使いたいのだけれど、少なくともジェンダーフェミニズムの話をする友人との間では使うが、そのような話をあまりしない友達の間ではしようがなく「旦那さん」と呼んでしまう。

 

(p.72)「ある男性がわたしに「なぜあなたが女性としてでなければならないの?なぜ人間としてではないの?」といいました。この種の質問はある人の具体的な経験を沈黙させる方便です。もちろんわたしは人間ですが、この世界にはわたしが女性であるがゆえに起きる個別の出来事があるのです。」

 

(pp.74-76)「女性は男性より下位にあるのが私たちの文化だという人もいるでしょう。でも文化は絶えず変化します。(略)文化が人びとや民族を作るわけではありません。人びとや民族が文化を作るのです。もしも、女性に十全な人間性を認めないのが私たちの文化だというのが本当なら、私たちは女性に十全な人間性を認めることを自文化としなければなりませんし、それは可能です。

 

 →日本で伝統や文化を理由に選択的夫婦別姓を反対する人に、50,000回読ませたい。まじで。